全員先生全員生徒の学び舎を 創ろう
集まれ 活き活き一所懸命
“ まなびっと”たち

よくキク(一所懸命)
心からホメル(十ほめ一ただす)
かならずカタル(一言以上)
皆でカンガエル(三人寄れば文殊の智恵)
どこまでもギビング(GIVE & GIVE)

FMICS GOKUNは大学をすこしでも良くしたいと願うFMICS人の約束
FMICS GOKUNは全員先生全員生徒の学び舎の約束
FMICS GOKUNは“まなびっと”の約束

プラス発想の積み重ねの23年間
FMICS人は着実に“まなびっと”への努力を続けてきました
螺旋状的にミッション・パッション・アクションを束ねてきました

そして FMICS2002
今、高らかに私たちは“まなびっと”宣言をします
初発の原像とあったかさと一所懸命をしっかりと束ねます
一つでも多くの大学を全員先生全員生徒の学び舎へと変えていくのです

今年も新宿と明治神宮が熱くなります
お仲間をお誘い合わせの上、ぜひ、ぜひ、ご参加ください

☆☆☆



●“まなびっと”ならば夢を語ろう

山本 洋

 ああそうか、これだったんだ。全員先生全員生徒のまなびや、まなびっと主義という言葉をFMICSで初めて耳にした・目にした瞬間、それまでわだかまっていた何かが氷解したような気がしました。大学4年、つまり今年の1月のことです。
 現実とは、そううまくいかないもんだ。誰に話しても大抵はこういう答えが返ってきます。でもそう言ってしまえば、そこまでで終わりです。まなびっとは、自らをどこまでも高めます。できるかもしれない、それもまた現実なのです。
 夢みたいなことを口にしていいのかと。いいんです。夢も語れない社会など、誰も求めてはいないはずです。夢を語ろうではありませんか。実現するのもまた、私たちなのですから。


●“まなびっと”たちの祭典がやってきた

足立 寛

 飾って見せてもだめ。批評家はお断り。本音で語ろうよ。「ここが良かったよ。でもここがこうなったらもっと素敵に変われるんじゃないかな」「その悩みってうちの大学も一緒だよ。でもこんな工夫がきっと役立つはずだよ」。「そのアイデアいただき!」。言葉が裸になってぶつかり合う快感。そんなものがFMICSにはあります。「全員先生全員生徒の学び舎」ってまさにピッタリの言葉です。8月シンポジウムはそんな「まなびっと」たちの祭典です。参加資格は1つだけ。MPA(ミッション・パッション・アクション)が実行できる人。さあ主人公はあなたです。待っています!


●“まなびっと”宣言

山内 美智

 やりたいことは一つじゃなく、あれもこれも学内も学外も気になることばかり。
 それより何より、新図書館開館後初めての定期試験を前に戦々兢々。
 資料は探せるか、本はあるか、レファレンスは対応できるのか・・・。
 こころを平らにして学生利用者の疑問やニーズに耳を傾けることから、私たちの役割は始まっています。
 そのとき、学生たちは私たちの先生になります。
 私たちは学生たちの先生たりえるでしょうか。
 うーん、どちらが先生でも生徒でもかまわないですね。
 皆が「まなびっと」になるのですから。
 小さな図書館という学び舎からやがて大学という大きな海へ。
 ポイントは何かをやってみようという仲間の力を信じることです。


●勉強なんかじゃない“まなびっと”だ

清水 聖子

 この春から、大学職員に加え、大学院生という身分が増えた。しかしこの大学院、アドミニストレーター養成を掲げているだけに、単なる学生ではいられない。来年は「1日先生」なる授業があるらしい。1コマの授業を受講生が自力で組み立てる−教員の立場を経験するという意味だけではない、戦略が必要だ、と思った。
 大学生の頃から「勉強」という言葉に違和感を覚えるようになった。漢字の意味は、勉める、強いる。おもしろくて自分から求めるのは「勉強」とは違うのでは・・・。大学の職員も望んで就いた職業、やはり「勉強」はしっくりこない。「まなびっと」これからはこの言葉を使おう。


●学生と一体化する

近藤 誠

 うちの大学では、工学部長の決断でサッカーワールドカップ、チュニジア戦とロシア戦の時間帯に3教室を開放して大画面で放映したところ、400人以上の学生が観戦してかなり盛りあがりました。
 放映開始の冒頭、私から「学部長先生の英断で開放を決めた」とアナウンスしたところ、会場を巡回した部長に対して学生達が一斉にエールを送る一幕もあり、一気に大学側と学生の距離が近くなったようです。
 国歌演奏の際には誰の指示もないのに一斉に学生が起立して斉唱したのにはかなり驚きました。入学式前日の事前指導で面倒くさそうな顔をしていた同じ諸君とは思えないような変貌ぶりに「健全なナショナリズムの発揚」をみて、ある種の感動すら覚えました。
 教職員が「場」を用意.提供することで学生のモチベーション(やる気、帰属意識)を高めることができるのだという事を実感した出来事でした。高度だが「ダルい」授業は学生の義務として取り組む事を強制するけど、それ以外に「熱くなれる」場面があるなら躊躇なく提供するのも「教育的決断」なのだと確信した次第です。
 学生諸君が熱くなる場面で一体になってしまう、同化してしまうというのは「まなびっと」の基本なのではないでしょうか。


●あなたらしい学びのスタイルを

宮 原 由美子

 人はすべての事すべての物から学ぶことができる、と今、心底思います。その気持ちさえあれば。ですが、学び続けようとしても一時の熱情は冷めてしまいがち。でもここで諦めてはいけません。冷めたことに気づいたらまた温めればよいのです。
 かつて、大きな志とはっきりした目標を掲げまっすぐに前進できる人に憧れました。やってみて分かったのはそんなに規則正しく直線的にできるものじゃないということ。紆余曲折、大いなる挫折はつきものです。
 それでも続けていれば学んだことがある日突然、血となり肉となっているのをまるで雷にでも打たれたかのように悟れるときが来ます。3年後か10年後かはたまた1か月後か、それはやってみなければわからない。この快感を一度でも体感できればしめたもの。明日のあなたは今日とは違う“学びの達人”です。


●いざ「適塾」に集え 青雲の志を共にする者たちよ

布施 芳一

 昨年から桜美林大学院の大学アドミニストレーション専攻に在学しています。そして、今年どういう訳か真義さんが専任教員としてやってきました。新宿の夜はウエをシタへの大わらわです。そこでわたくしたちが目指しているものが、まさしく全員教師全員学生の「適塾」スタイルに他なりません。緒形洪庵が真義さんに擬せられるかどうかはさておき(一説によれば二十四の瞳とか)、新宿のフロアは実に「ヅーフ部屋」と化して、カラスの鳴かない夜があっても、討議討論の声が響き渡らない日々は無いと言って過言ではありますまい。そして指折り数えてみれば、適塾もFMICSも丁度20余年の活動歴、平仄があいすぎるじゃぁありませんか。まるで端っから仕組まれたみたいだ。どう思います?